覚書:刑事立法学について(その0)

以前、ご縁があって、立法学に関する研究会で報告をする機会が2度ありました。いずれも、前任校で同僚であった(そして今でも呑み友達である)谷口功一先生にお声がけ頂いて飛んで火に参上したものです。

 

立法学は、私の理解では、「よりよき立法はいかにして可能か」を問う学問領域(あるいは、このような学問領域を創出しようという学問的な運動)であり、「刑事立法の時代」の刑事法学者として、なんらかの寄与をせねばならないと思ったことをよく覚えています。

 

とはいえ、当時(あるいは、今でも)、私自身はお声がかかるまで特に「立法学」というものについて深く考えたこともなく*1、その背景にある哲学・政治学等に関する素養も欠くため、戸惑いつつ、前段で述べた理由から、あるいは、呑み友達に誘われて断れるか(いや、断れない)という理由から、「手持ちの材料」を変形させて、なんとか、「刑事法領域での立法動向の現状」とでもいうべき報告をしました。

 

初回(2007年)の報告は、「刑事立法二題」と題し、共謀罪*2と自動車運転過失致死傷罪*3を取り上げ、それぞれの立法動向を紹介した上で、刑事立法の動因に関する話題提供をしました。また、2回目の報告(2010年)は「刑法学及び刑事訴訟法学を取り巻くもの」*4と題し、戦後の刑事法改正の動きを概観しながら、刑事立法の動因に関する話題提供をしました。

 

拙著『刑事立法と刑事法学』(2010年、弘文堂)は、これらの経験と問題意識を反映させようと試みたものです。 

刑事立法と刑事法学

刑事立法と刑事法学

 

 

立法学とのお付き合いはこの後も続き、井上達夫先生を中心とした企画の末席に加えて頂いて、同企画の成果物である『立法学のフロンティア』第3巻『立法実践の変革』 (2014年、ナカニシヤ出版)に「裁判員制度の立法学的意義」(同書147頁以下)と題する小稿を寄せる機会を得ました。

立法学のフロンティア〈3〉立法実践の変革

立法学のフロンティア〈3〉立法実践の変革

 

 

もっとも、ご批判も頂戴しましたし、自覚もするところですが、一連の前掲業績において、「刑事立法の現状」を素描すること、あるいは、「その現状が刑事法学者によってどのように受け止められているか」を要約することは一定程度できていたとしても、一般化可能な議論(あるいは、刑事立法学総論とでも呼ぶべき議論)は展開できませんでした。また、正直に言えば、原稿を書きながら、「それで結局、立法学ってなんなんだろう」と途方に暮れていました。

 

その後、気鋭の若手による意欲的な作品に触れたこと(後掲)、在外研究中で来し方を振り返る時間的・精神的な余裕があること、(関連する原稿を書いたことがある)共謀罪/テロ等準備罪を巡って議論が活発化していること、 集団的自衛権を巡る昨今の議論に触れたこと、等々の理由から、刑事立法学総論の必要性を改めて感じるに至っています。

その行為、本当に処罰しますか―憲法的刑事立法論序説

その行為、本当に処罰しますか―憲法的刑事立法論序説

 

 

まとまったものを論文で世に問うのが本来ですが、かつて途方に暮れた経験から手に余るのではないかと恐れるため、以下、まずはメモ書き程度に現在考えていることを書いてみようと思い、手始めにそのことを宣言してみる、というのがこのエントリです。

 

さて、以下、続くかフェイド・アウトするかは、神のみぞ知る……。

*1:「刑事立法の時代だなあ」とか「論争喚起的な立法が続くなあ」といったレベルの問題意識はありましたが、同時に、そのくらいでしかありませんでした。

*2:拙稿「共謀罪と刑事手続」都法48巻1号(2007年)119頁等がベースとなっています。

*3:「刑事立法の時代と自動車運転過失致死傷罪」刑事法ジャーナル8号(2007年)18頁以下等がベースとなっています。

*4:「刑法学と刑事訴訟法学の交錯、あるいは、刑法学及び刑事訴訟法学を取り巻くもの」法律時報1009号(2009年)86頁以下がベースとなっています。

「米国銃事情管見」予告と補遺

ご縁があって信州大学経法学部の紀要である信州大学経法論集の創刊号(2017年、近刊)に「米国銃事情管見」と題した小稿を掲載して頂きました。

 

私は、2016年4月より、米国において在外研究中です。本稿は、米国で生活する中で接した銃犯罪に関する報道を機縁とし、同国における銃犯罪や銃規制――とりわけ前者――について包括的に素描しようと試みたものです。

 

全米第3の都市であるシカゴ(イリノイ州)において銃犯罪の被害者が急増していることは本稿でも取り上げました。2016年8月15日時点で、2016年の銃犯罪による死傷者数が2600人を超えたと報じられていたのです(2015年は2988人)。

www.chicagotribune.com

 

本稿では、このペースでは1年に約4173.7人が被害に遭うことになると記しました。実際にはどうだったでしょうか。年が明けた1月1日、CNNが以下のように報じました。

www.cnn.com

 

これによれば、2016年にはシカゴ市で4331人が被害に遭っており、過去19年で最悪の事態です。前記の予想を上回る被害者が生じたこととなります。

 

日本における銃器発砲事件*1数やこれによる死傷者数は――幸いなことに――世界的に見て極めて少ないのです。このため、本稿が日本における銃犯罪を巡る議論に資するところは少ないでしょう(これもまた幸いなことに、というべきでしょう)。

 

他方、本稿が不十分ながらも米国の銃犯罪の現状を素描し得たとすれば、米国における様々な議論の背景にあるもの――いわば議論の土壌――の理解の一助になるかもしれません。米国に生活する者としての単なる興味関心から調査したものではありますが、少しでも意味があれば幸いに思います。

 

【2017年1月4日(PST)追記】 銃規制の厳格さ・あり方と銃犯罪の関係については、ファリード・ザカリアがホストを務める番組(CNN、Fareed Zakaria GPS)における特集が参考になります。これについてご関心の向きは以下をご覧下さい。

gk1024sa.hatenablog.com

*1:銃砲を使用して金属性弾丸を発射することにより、人の死傷、物の損壊等の被害が発生したものおよびそのおそれがあったもの。過失および自殺を除く。

覚書:「共謀罪、要件変え新設案 『テロ等準備罪』で提案検討」

朝日新聞デジタルが2016年8月26日(JST)に「共謀罪、要件変え新設案 『テロ等準備罪』で提案検討」との記事を掲載しました。

digital.asahi.com

 

共謀罪の動きに関しては産経新聞が本年3月に記事を掲載したことがあり、これについて、覚書として以下のエントリを書いたことがあります。

gk1024.hatenablog.com

 

上記のエントリでは、以下の2点を指摘しました。

 

(1) overt actという概念では、アメリカ法の経験によれば、処罰範囲を限定することはできない。このため、(産経の記事における)「準備行為」は条文の書き方に工夫が必要である。

(2) 組織犯罪処罰法上の諸概念には解釈の積み重ねがあり、またその解釈には理由がある。このため、共謀罪(あるいはそれにかわる犯罪類型)を同法に新設することは、従来の解釈に引きずられた混乱を生ぜしめ得る。

 

今般の朝日新聞報道がいう「政府案」に直接触れたわけではありませんので、あくまでも同紙の報道によれば、ですが、新たな政府案では、これらの点につき、以下のような手当てがされているようです。

 

(1) 「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」(テロ等組織犯罪準備罪)の成立に、「犯罪の実行のための資金または物品の取得その他の準備行為」を要求する。

(2) 従来の法案における「団体」にかえ、「組織的犯罪集団」(「目的が4年以上の懲役・禁錮の罪を実行することにある団体」)という文言を用いる。

 

これらの手当てにより、議論の局面は一段階前進しそうです。

 

すなわち、

 

(1) 同政府案がいう「準備行為」が十分かつ明確に処罰範囲を限定し得るか、とりわけ、「その他の準備行為」という書きぶりの是非が問題となる。「その他の」という書きぶりから、当然、「犯罪の実行のための資金または物品の取得」は例示に過ぎないこととなるが、このような書き方でよいか。

(2) 「目的が」という主観的な書きぶりで十分かつ明確に処罰範囲を限定し得るか。また、その認定は実際にはどのように行うことを想定しているのか。

 

ということが問題となるでしょう。 

 

なお、(1)については、「その他の」が無限定だからダメ、という議論では、少なくとも専門家による批判としては不十分でしょう。刑法典にも「その他の」という文言が多く使われていること、それらが無限定であるか否かの評価を踏まえた議論が必要になるでしょう。

 

 過去の法案では、犯罪を行うことで合意する「共謀」だけで罪に問われていた。今回は共謀という言葉を使わずに「2人以上で計画」と置き換えたうえで、計画した誰かが、「犯罪の実行のための資金または物品の取得その他の準備行為」を行うことを構成要件に加えた。武器調達のためにパンフレットを集めるなどの行為を想定している。

 

さらに、「共謀」にかえて「2人以上で計画」とした点も興味を惹かれるところです。アメリカ法においては、しばしば、共謀罪(criminal conspiracy)とは、「2名以上の者による、不法な行為、若しくは、不法な手段による合法な行為を為すための結合」と定義されますが、この書きぶりを思い出すのは、あるいはアメリカ法の議論に引きずられすぎかもしれません。むしろ、「共謀」という、論争誘発的かつ多義的(共謀共同正犯との関係では共謀は従来多義的に用いられてきました)な概念を捨て*1、「計画」というより客観的・外形的な動きを要求する文言を採用したと理解するべきかもしれません。

 

ざっと思いついたことを書き連ねたのみですし、専門家としては論文の形で検討すべきことがらですが、まずは覚書として。

*1:とはいえ、「共謀」という文言は、国家公務員法等の法令で従来から用いられてきたものではありますが。