覚書:刑事立法学について(その1)

「その0」に記したように、以下の一連のエントリは、刑事立法学につき現時点で考えていることを、メモ書き程度に書き連ねてみようとするものです。

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このエントリでは、「よりよき刑事立法はいかにして可能か」を明らかにするためには、刑事立法のよしあしをどうやって判定するのか示されなければならないという発想から、いくつかの項目を取り上げることとします。

 

取り上げる項目は、たとえば以下のようなものになるでしょう*1

 

・憲法

・立法事実

・刑事法領域での基本原則

 

以下、これらをよしあしを判定するための「ものさし」と呼ぶこととします。

 

まず、第一のものさしとして、憲法を挙げることできるでしょう。言うまでもないことですが、憲法違反の立法は許されませんので、ある立法のよしあしを判定しようとするとき、当該立法が憲法上許容されるか否かが問題となるのは当然です*2

 

もっとも、ある立法が憲法に違反するか否かのみを問題とするのでは、刑事立法学としては不十分な場合がありそうです。憲法をいちばん外側にある埒と考えるならば、憲法は「絶対にダメ」な立法か否かを判定する道具であって、憲法適合性の判断は「よりよい」か否かを判定する作業とはいくぶん趣を異にすると思われるからです。憲法適合的である複数の法案にも、それらの法案の中でのよしあしがあるはずです。

 

第二に挙げることができるのは、立法事実(の有無)です。近時、さまざまな刑事立法に対する議論において、立法事実の有無が語られるのは、「立法事実の有無によってある立法のよしあしが判定されると多くの人が考えている」ことの現れです。

 

もっとも、立法事実の要否(あるいはどのような内容の立法事実がどの程度要求されるのか)は一考の余地があるのかもしれません。

 

処罰されるべき行為が日本で多発しているが現行法では対応できない場合、当該行為を犯罪化する必要がある、という議論は当該立法の必要性を基礎付けるという意味では説得力を有することとなるでしょう。

 

では、当該行為が日本では生じていない、という場合はどうでしょうか。近時の立法を巡る議論では、「立法事実を欠くため、当該立法は不要である/不適切である」等の主張も見られます。たしかに、多くの刑事立法は権利侵害を必然的に伴うものですから、必要でもないのに「副作用のある薬」を用いる必要はない、という議論には首肯できます。

 

もっとも、この主張の射程はいかなるものでしょうか。刑法典においてもこれまで一度も適用されたことがない犯罪類型が存しますが、立法事実の欠如が事後的に明らかになったとして、これらの犯罪類型を廃止すべきでしょうか。立法事実の有無がものさしとして用いられるべきか、用いられるとしてもこれにいかなる重みを与えられるべきかは、議論の余地がありそうです。

 

第三のものさしとして、責任主義や罪刑の均衡、罪刑法定主義、行為主義等々といった刑事法諸領域での諸原則を挙げることができます。これらの多くは明文の根拠規定を有するわけではありませんが、これまでの議論の蓄積に照らして、その重要性が認められてきたものですから、ものさしとなり得るのは当然です。

 

もっとも、これらのものさしにも弱点は存するでしょう。それは、(個々の原則ごとに濃淡はあるが)はたしてものさしとして使用できるほど議論が精緻化されているかという問題です。この精緻化に未だ成功していない概念が存するとすれば、当該概念は、ものさしとしての使用には耐えない、ということになるでしょう。

 

このエントリでは、さしあたり、3つのものさしをとりあげて、コメントを付してみました。いずれ追加する(かもしれない)後のエントリでは、この3つのものさしについてもう少し敷衍してみたいと思います。

*1:後に追加するかもしれません。

*2:憲法適合性が常に争点として顕在化するとは限らないことは、また別の話です。