読書感想文:ダニエル・J・ソロブ『プライバシーなんていらない!?』(2017年、勁草書房)

 組織犯罪処罰法改正関係の勉強で時間を取られ読みかけのままになっていたが、ようやっと以下の書籍を読み終えた。強く印象に残る部分が少なからずあったので、簡単に感想を記しておきたい。

 以下、まとまりがほとんどないが、書評ではなく読書感想文だから、と開き直っておく。

プライバシーなんていらない!?

プライバシーなんていらない!?

  • 作者: ダニエル・J.ソロブ,Daniel J. Solove,大島義則,松尾剛行,成原慧,赤坂亮太
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2017/04/28
  • メディア: 単行本
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 なお、著者であるダニエル・J・ソロブは著名なプライヴァシー法研究者である(ジョージタウン大学教授)。また、原著は Daniel J. Solove, Nothing to Hide: The False Tradeoff between Privacy and Security, 2011 であり、本書は、大島義則、松尾剛行、成原慧、赤坂亮太による翻訳である。f:id:gk1024:20170617021622j:image

 

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 本書において繰り返し述べられるのは、プライバシーと安全との関係が二者択一ではない、ということである。

 この主張は「第1章 はじめに」で以下のように示され、この後、折に触れ形を変え現れる。

 多くの人びとは、安全性の向上のためにプライバシーを差し出さなければならないと信じている。そしてこの論争において安全側に立つ人々は、このトレードオフを受け入れるよう推奨する強力な議論を行っている。

 ……しかし、プライバシーを保護しても安全保障対策にとって必ずしも致命的にはならない*1

  ソロブはこのように主張して、プライバシーと安全が「二者択一の命題であることが論争の前提とされている」が、「その枠組み作りそのものが誤ってなされている」とする*2

 第3章においても、このことは詳述される。ソロブは、「テロリストの攻撃から私を守ってくれるなら、私は喜んでプライバシーを諦める」(I'd gladly give up my privacy if it will keep me secure from a terrorist attack)との常套句を取り上げ、プライバシーが「武装解除*3」を要求するかのように理解されているが、そのような理解が「全か無かの誤謬*4」であることを指摘するのである。そこでは、911事件における安全対策の一つが飛行機のコックピットのドアをロックすることであって、プライバシーの放棄が安全性と必ずしも関係がないことが指摘される*5

 同種の論証は枚挙にいとまがないが、たとえば、第18章がビデオ監視の規律方法として「監視者を監視する」手法を提案する点*6、「データ・マイニングの熱烈な支持者ではない」としつつ「すべての政府によるデータ・マイニングを拒否するものでもない」としてデータ・マイニングが許容される条件を論ずる点*7が挙げられよう。

 このことは21章「結論」においても、以下のように確認される。

 権利・自由を政府利益と衝量する場合には、その衝量が適切に行われることが極めて重要である。安全とプライバシーはしばしば衝突するが、必ずしもゼロサムのトレードオフ関係であるとは限らない。プライバシーと安全を調和させる方法がある*8

 ソロブは、この調和のための指針を4点示した上で*9、以下のように結んでいる。簡明で力強くリズミカルな文章なので、ここでは原文を引用しておこう*10。 

        So let the debate begin anew, but let it be more productive this time. Let's finally make some headway. If we get rid of all the noise and confusion, we can focus on what works and what doesn't. We can come to meaningful compromises. We can protect privacy as well as have effective security.

 心から同意できる宣言である。"If we get rid of all the noise and confusion" には多くの思いが込められていると考えるのも、深読みしすぎではなかろう。

 

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 同書には、小説や映画がしばしば引用される。とりわけニヤリとさせられたのは、以下である。

 パーソナルデータの収集・使用により発生する問題を記述するために、多くの論者は、ジョージ・オーウェルの『1984年』に依拠したメタファーを用いる。……しかし、コンピュータのデータベースで収集されるデータの大半は……センシティブなものではない。……

 違うメタファーのほうが、よりよくその問題を捉えている。フランツ・カフカの『審判』である*11

 「1984」を引用するのは洋の東西を問わないようだが、いつもそれを引けばいいというわけではないよね*12、とニヤリ。私も同感、だからこそ某原稿では「1984」ではなく「マイノリティ・リポート」*13を引用したと思いつつ読み進めると本書にも「マイノリティ・リポート」(映画版)が出てきてまたニヤリ*14

 このほか、同書には、「反響を呼ぶ社交新聞*15」、「ビリー・バッド*16」、「華氏911*17」、「エネミー・オブ・アメリカ*18」、「タイタニック*19」も登場する。

 

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 本書は、プライバシー概念の多様性に起因する混乱に悩む学生にとっても有用であろう。

 たとえば、私が専門とする刑事法の領域では、近時、GPSを用いた捜査手法について注目すべき判断が最高裁によって為された*20。最高裁は、以下のように述べ、当該捜査手法を強制処分である――すなわち、刑事訴訟法上根拠となる規定がなければならず、かつ、令状によらなければ行えない処分である――と判示した。

……個人のプライバシーの侵害を可能とする機器をその所持品に秘かに装着することによって、合理的に推認される個人の意思に反してその私的領域に侵入する捜査手法であるGPS捜査は、個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものとして、刑訴法上、特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分に当たる……。

  すなわち、この事案で用いられたGPS端末は「個人のプライバシーの侵害を可能とする機器」であり、これを装着して「私的領域に侵入する捜査手法」は強制処分であるとされたのである。

 同判決以前は、GPS捜査と憲法・刑事訴訟法の関係については、議論が分かれていた。もし、このような捜査手法を尾行と変わらないと考えれば、プライバシー侵害の程度は小さいと考えることとなろう*21。尾行は公道上で行われている活動を捜査員が見るに過ぎないものであって、プライバシーへの侵害性は低い(から任意処分――刑事訴訟法上の根拠規定も令状も不要――である)、GPS捜査も同じこと、というように。

 他方、GPS端末を用いることで、現実には尾行では困難な情報の収集まで可能となると考えることもできる。たとえば被疑者の公道上での行動を1ヶ月にわたってすべて監視しようとする場合を考えると、尾行によってこれを行おうとすれば膨大な人員と予算を投入する必要があり現実には困難であるのに対し、GPS端末によってこれを行うことはマンパワーの観点からも予算の観点からも容易である。こう考えると、GPS捜査は、尾行と異なり、尾行よりも、プライバシーの侵害性が高いと評価すべきことになろう。

 さらに、GPS端末を利用して得られる情報は追尾される者の位置情報であるが、仮に「いまこの瞬間どこにいる」という位置情報それ自体はたいして価値のない情報だとしても、位置情報を大量に収集して分析すれば、その者の思想・信条・性癖等々が明らかになるかもしれない。この点を捉えてプライバシーへの侵害性が高いとする議論もある*22

 ここで問題とされているのは、GPS端末によって重大な権利侵害が生じているか否かであり*23、換言すれば、GPS捜査によりどのような侵害が生じていると考えるのかである。

 ここでは、プライバシーが侵害されたといえるのはいつどのような場合かが問題とされ、さて、はたしてプライバシーってなんだっけということが問題とされるのである。

 このようにプライバシーは議論の鍵となる概念だが、その内容が多様であるために、捉えどころがない部分がある。ソロブは、このようなプライバシー概念の多様性を解き明かし、従来の問いの立て方を変更すべきであると説く(12章)。

 このようなプライバシー概念の捉え直し自体が議論の対象となる(そしてさらに読者を悩ませるおそれがある)ことは否定しがたいが、本書における簡明な記述は、多様なプライバシーの内実を具体的に理解することに資するであろう。

 

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 本書における話の進め方にも感心させられる。

 たとえば、自身のブログに寄せられた、「やましいことは何もない論」(the nothing-to-hide argument; プライバシーを高唱する者にはやましいことがあるに違いない、とする議論)に対する「うまい返し方」を紹介する部分*24は、堅苦しい法律論に瑞々しさを与えることとなろう。

 アマゾンやグーグルで検索した際のURLにまつわる問題を取り上げる部分*25は、通信の内容そのものか付随的情報かという問題(同書は「内容」か「封筒」かとする)が遠い世界の問題ではないことを際立たせるであろう。

 3つのプロファイルを提示しプロファイリングの問題を指摘する部分*26は、そこで掲げられたプロファイルが著名事件(911事件、オクラホマ連邦ビル爆破事件、ユナボマー)における被疑者のものであるとすぐ種明かしされることにより、地に足の着いた議論の重要さを読者に思い起こさせるであろう。

 生体認証データ漏洩通知書*27も面白い。この架空の通知書は、プライバシーの重要性をしかめ面で論ずるよりもはるかに、生体認証に関する適切な法的アーキテクチャの大切さを理解させるであろう。

 同書においては、他にも、ブッシュ大統領による監視プログラムに関するコメント*28等、911事件をめぐる社会的な出来事が多く引用されており、米国における同事件の重みを考える材料となる。

 

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 本書は、「やましいことは何もない」論との関係で、バートウによる議論を引用し、批判する。ソロブの引用によれば、バートウは以下のように述べる。

 プライバシー問題は「単純な不快感を越えて、生きている人間すなわち生きている者の生命に対して否定的なインパクトを与え」なければならない*29

 ソロブは以下のように応じる。

 人々が抽象的な利害関係よりも、血や死に対してより強く反応するという点については、バートウはもちろん正しい。しかし、もしこれが問題を認識するための基準であるというのであれば、ほとんどのプライバシー問題は認識されないであろう。プライバシーはホラー映画ではない。多くのプライバシー問題は死体と結びつかず、触って分かるような害悪を探し求めることは多くのケースで難しい*30

 バートウのような論法はしばしば見られる。しかし、このような論法は、運動論としてすらも成功していないように思われる。ソロブの指摘によるなら、このような失敗は、問題を正しく認識し得ていないから、ということになるのであろう。

 

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 愛国者法に関する以下のような記述も刺激的である。

 愛国者法の成立は、しばしばプライバシー権を骨抜きにした転換点とみなされている。私は無数の人と愛国者法について話してきたが、彼らはいつも愛国者法がプライバシーを殺したと嘆いていた。彼らの見解はどうも、愛国者法以前には我々は政府による監視に対抗する強力なプライバシー権を有していたが、愛国者法がこれを骨抜きにしたというもののようである。

 しかし、これらの喧伝のすべては愛国者法そのものに注意を向け過ぎていて、法制度一般に対する関心の程度は不十分である*31

 問題を正しく捉え、正しく対応するためには、氷山の一角にのみ注目するのではなく、氷山全体を観察する必要がある。

 ソロブは、このことを、一般書としては詳細に過ぎると思われるほど丁寧に電子的監視関連法制全体を解説することで、明らかにしている。

 

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 大島義則による「訳者あとがき」は、ソロブによる他の著書を紹介する。ソロブの議論を概観する上で有用であり、また、同書をきっかけとして勉強を進めたいと思う者にとって読書ガイドとして有益である。

 このことも、あわせて、記しておきたい。

*1:同書2頁。

*2:同書2頁。

*3:同書37頁。

*4:同書38頁。

*5:同書38頁以下。

*6:同書202頁以下。

*7:同書220頁以下。

*8:同書232頁。

*9:同書233頁以下。ここでは敢えて引用しないので、是非、同書をお読み頂きたい。

*10:訳は同書235頁参照。

*11:同書29頁以下。

*12:「1984」は同書199頁にも登場し、「オーウェル流のディストピア」では問題が捉えきれないことが示される。

*13:フィリップ・K・ディックの小説。スピルバーグによって映画化された。

*14:同書228頁。

*15:同書24頁以下。

*16:同書63頁。

*17:同書173頁。

*18:同書196頁。

*19:同書224頁。こちらは映画ではなく現実のタイタニックと理解すべきかもしれないが。

*20:最決平成29年3月27日裁判所裁判所ウェブサイト。

*21:最高裁判決以前の下級審には、このような考え方を採ったものも現に存在した。

*22:モザイク理論と呼ばれる考え方。尾崎愛美「GPS監視と侵入法理・情報プライバシー」季刊刑事弁護89号(2017年)103頁以下参照。モザイク理論については批判的な見解も多く見られる。

*23:前掲・最高裁判決も「個人の意思を制圧して、憲法の保障する重要な法的利益を侵害するもの」であるか否かを問題とした。

*24:同書25頁。

*25:同書178頁以下。

*26:同書210頁以下。

*27:同書229頁。

*28:同書93頁。

*29:同書33頁。

*30:同書34頁。

*31:同書174頁。