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研究対象の変遷について(その1)

先にも書きましたが、私は、あれこれと幅広い領域について、浅く広く原稿を書いてきました。同僚の山本龍彦先生から「境界の魔術師」*1との異名を頂きましたが、私の研究者としての個性を端的に言い当ててくださり、まことにありがたいことです*2

 

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このようなスタイルとなった最大の理由は、おそらく、原則として頂いた仕事を断らないという方針であった*3ことですが*4、他の大きな理由として、いくつかの巡り合わせがありました。

 

既に記したことですが、私は、もともと共同正犯を対象として研究をスタートしました。当初、あまり具体的な問題意識を持ち合わせていたわけでもありませんでしたが、(1)共謀共同正犯を巡る判例と学説の齟齬に興味を抱いたこと、(2)狭義の共犯についての議論は盛んだったが、共同正犯についての議論はしばらく「空き家」になっていたこと*5、などがその理由だったように思います。もちろん、師匠からのご示唆もありました。

 

そこで、当初は、共同正犯の「本質」論、および、正犯と共犯の区別について、あれこれと勉強をしていました。これも既に記したことですが、この過程で、共謀共同正犯概念の肯否に関する手続法上の議論の対立を知り、正犯と共犯の区別(その中でも、共謀共同正犯概念の肯否)につき態度決定するためには、手続法の勉強もせざるを得ないと考えるようになりました。ここで越境を開始したわけです。

 

駆け出しの頃の私にとって、大きな意味を持ったのは、「テイクオフ刑法――新刑法入門」(法学教室274号(2003年))という特集の一部をなすものとして、「刑法と刑事訴訟法の交錯」というテーマで原稿を書くようご依頼を頂いたことでした。

 

この時点では、研究の必要上越境しているという自己認識はあっても、「刑法と刑事訴訟法の交錯」などといった大きなテーマについて自覚的に正面から向かい合うことは未だありませんでした。また、「刑法と刑事訴訟法の交錯」というタイトルは、団藤重光先生のご著書のそれと同じですから、畏れ多いと戸惑いを感じたこともよく覚えています*6。とはいえ、駆け出しの時期にこのテーマで書くチャンスを頂いたことは、「自分がやっていることは交錯領域に関することなのだ」という自覚をする好機となりました。ある種のラベリングがなされたのかもしれません。軽い気持ちでちょっと越境した者が、越境者であるとラベリングされることにより、ああもう自分は越境するしかないとの自己認識を抱き、次はより重大な越境をやらかすわけです。 

 

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また、この時期、学内の研究プロジェクトに参加した関係で、 防犯カメラに関する小稿*7を書く機会を得たことも、私の視野を広げてくれました。さらに、この時期、法科大学院の立ち上げに関与したことも、私の研究スタイルを規定しました。この2点については、また別に。

*1:山本龍彦「イントロダクション」法律時報86巻4号(2014年)89頁。同稿は、宍戸常寿・曽我部真裕・山本龍彦の各先生による「憲法学のゆくえ」に私がゲストとしてお呼び頂いた際の、山本先生による論点整理です。

*2:アブドーラ・ザ・ブッチャーや博多大吉を想起したりもしますが。

*3:このことについては、機会があれば別に。また、近年は、若干方針変更をせざるを得ない状況にあります。

*4:やむを得ずお断りした仕事もあります。その節はご迷惑をおかけしました。

*5:もちろん、重要な先行研究は既に存在していましたが、世代的に若干離れてていました。

*6:「共謀共同正犯を題材として」という副題を付したのは、この戸惑いからだったかもしれません。

*7:「防犯カメラ設置・使用の法律問題――刑事法の視点から」東京都立大学法学会雑誌43巻2号(2003年)111頁以下。今読み返すと、謙遜でなく、まったく不十分なもので恥ずかしいのではありますが。